
コメディアンのミジャがパク・ナレの美談を公開した。
16日、チャン・ヨンランのYouTubeチャンネル「A級チャン・ヨンラン」には「チャン・ヨンランも舌を巻く『合計90歳の新婚夫婦』の想像を超えた恋愛ストーリー」というタイトルの動画が公開された。
この日、チャン・ヨンランはミジャとキム・テヒョンの新婚家を訪れた。ミジャは「元々の専攻は美術」とし、「弘大美大を卒業し、大学院をやっていたが途中で辞めた」と説明した。そして「子供の頃から絵を描いてきたので、こうして壁を見て老いて死ぬのかと思った。だから放送をしたいという夢が生まれた。アナウンサーの準備をしようと(大学卒業後)ニューヨークで(画家として)育ててくれるという提案を断った」と放送に入るきっかけを語った。
しかし、6年間挑戦したにもかかわらず、アナウンサー試験では常に不合格だった。ミジャは「地上波は公募もあまり出ず、3000対1の競争率だった。ケーブルアナウンサーも500対1だった。ずっと落ち続けて自尊心が底をついた」と説明した。
そんな中、ミジャは偶然KBSの喜劇俳優募集の投稿を見つけた。ミジャは「コメディアンをやれと言われることがよくあった。すぐに応募した」と語った。KBSの公募コメディアン試験には落ちたが、審査員の勧めで『コメディスター』という番組でデビューすることになった。
その後、ミジャは2012年にMBCの公募コメディアン試験に合格し、19期公募コメディアンとして正式デビューした。ミジャは「私は歴代最高齢の新入生だった。私がいる場所ではなかった。軍規が厳しかった。耐えられなかった。半分が辞めた。私は一番最後の方に辞めた」と話した。
当時を振り返るミジャは涙を見せながら「うつ病が訪れた。私は本当に一生懸命生きた。学生時代もそうだったし、20代の時も7つの勉強会をしながら狂ったように生きた。しかし30代になってみると、友達は就職し、結婚しているのに、私は何のためにそんなに生きていたのかと思った。3年ほど。家の外に出なかった」と打ち明け、切なさを呼び起こした。続けて「その時、どうやって死ぬかということしか考えなかった。親に本当に不孝をした」と付け加えた。
その後、ミジャは2014年に演劇『ドリップガールズ』に出演することでパク・ナレと出会った。ミジャは「私たちの家族はナレを恩人だと思っている」と話し、注目を集めた。
ミジャは「放送業界に行くと有名な人たち同士で話をし、自然に(グループが)分かれる。それが日常なので、私は一人でいることに慣れている。しかしナレはその時、顔もみんな知っていて、(一緒に出演していた)イ・グクジュ先輩、チャン・ドヨンとも親しい関係だった。私だけ知らない人なのに(パク・ナレが)絶えず私に電話をかけて、自分の家に来るように言った。私がうつ病であることを知っていて『一人ではいけない』と言ってずっと呼んでくれた」と感謝の気持ちを表した。
続けて「その時はナレも大変な時だった。今のようにうまくいっている時ではなく、本当に小さな部屋で場所がなくてトイレに座っているような時だった。今まで放送をしてきてナレのような人に会ったことがない。まず連れて行って、自分のお金で料理をして、すべてを振る舞い、贈り物が来たものまで全部包んで送ってくれた。その時、毎日呼んでくれた。『ミジャネ酒場』ができたのもナレのおかげだ」と付け加えた。
[キム・ソヨン スタートゥデイ記者]