
元放送コメディアン協会長ウン・ヨンスは、普段親しかった先輩イ・サンヨンの死去に悲しみを隠せなかった。
ウン・ヨンスは9日、毎日経済スタートゥデイとの通話で「突然イ・サンヨン先生の死去の知らせを聞いた」とし「呆然としている」と語った。
イ・サンヨンはこの日午前、咳と風邪の症状を感じ、ソウル・西大門区の自宅近くの病院に行く途中、突然倒れ、ソウル聖母病院に緊急搬送されたが、結局この世を去った。享年81歳。
ウン・ヨンスは「イ・サンヨン先生は糖尿病のため足が不自由だった。5~6年前から動くのが大変だった」とし「最近、いろいろなところにお連れすることがあったが、支えてあげていた」と語った。そして「少しでも痛いと大げさに言わなければならない。先生は大げさに言っても、(後輩には)‘ただ足を少し怪我しただけ。すぐに治る’と言っていた。他の人たちは具合が悪いことも知らなかっただろう」と残念な気持ちを表した。
続けて「最近、いろいろなところにお連れすることがあったが、支えてあげていた。昨年末にも先生の自宅近くで食事をしていたが、一段の上り下りも大変そうだった。健康が日々悪化しているのに方法がなかった。いつも、もし何かあったらどうしようと心配していた」とイ・サンヨンの健康状態について言及した。
イ・サンヨンは2022年に亡くなった故ソン・ヘが指名したKBS1「全国歌謡大賞」の後任でもあった。ウン・ヨンスは「MCも一人で上手にやっており、舞台に立つと野戦でも男女老若を笑わせる数少ない本物のコメディアンだった」とし「ソン・ヘ先生が生前、いつも‘お前が私の後任だ’と言っていた。イ・サンヨン先生が持っていた才能に比べて、番組をする機会があまりなかった。後輩たちが学ぶことが多い方なのに…」と嘆いた。
最後にイ・サンヨンは「そんなに笑わせることができる人は珍しい。足が不自由だっただけで、話すことやギャグは変わらなかった。腕立て伏せも長くされていて、健康が本当に良かった。健康の象徴ポパイとして子供たちに希望を与えたこともあったが、残念だ。素晴らしい実力者が去った。すぐにお悔やみに伺います」と繰り返し悲しみを表した。
忠清南道・瑞川出身のイ・サンヨンは1973年にMBC「愉快な清白戦」の補助MCとしてデビューし、1975年から9年間KBS「モイジャ・ノレハジャ」を進行し「ポパイ」として大きな愛を受けた。特に1989年から1997年まで放送されたMBC「友情の舞台」を進行し、国民の愛を受けた。
[キム・ソヨン スタートゥデイ記者]