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[総合] イ・デホ「高校2年生の時に祖母が亡くなった…野球をやりたくなかった」 (‘同床異夢2’)

Lee Sebin
入力 : 
2025-08-26 01:11:36
‘同床異夢2’. 写真 I SBS ‘同床異夢 2 - 君は私の運命’ 放送キャプチャ
‘同床異夢2’. 写真 I SBS ‘同床異夢 2 - 君は私の運命’ 放送キャプチャ

元野球選手イ・デホが亡くなった祖母を思い出した。

25日に放送されたSBS ‘同床異夢 2 - 君は私の運命’では、イ・デホとシン・ヘジョン夫婦の日常が描かれた。

この日、イ・デホの妻シン・ヘジョンは「夫が引退する時に‘私も運動選手の妻の役割は終わるんだな’と思ったが、突然息子が野球を始めた」と話した。イ・デホは「息子が野球を始めてから7ヶ月ほど経った」と付け加えた。

シン・ヘジョンは「結婚前から夫は息子が生まれたら絶対に運動をさせないと言っていた。特に野球は絶対にさせないと耳にタコができるほど聞かされた」と語った。

イ・デホは息子の野球に反対した理由について「野球場に行くとずっと立っていなければならない。走り回らなければならないし、ボールを拾わなければならないし、かがんだり立ったりしなければならない。誰か一人が間違えると全体で叱責を受けなければならない」と説明した。

続けて「私が子供の頃もそうやって練習した。真夏の太陽の下で休むこともできなかった。この時間を息子が過ごすと思うと、私も心が苦しくなる。本当に辛い時間だから」と付け加えた。

イ・デホは「父が3歳の時に亡くなった。母は私が小学生になる前に再婚した。それ以降はほとんど祖母と過ごした。祖母が私と兄を育ててくれた」と回想した。

続けて「しかし家が少し貧しかったため、野球部の会費を払うのも簡単ではなかった。野球をするとユニフォームを揃えなければならず、毎月おやつ代を払わなければならなかった。いろいろとお金がかかったので、最初に野球を始める時に悩みが多かった」と打ち明けた。

その上で「祖母がいたからこそ野球をすることができた。祖母が毎日お小遣いをくれた。中学校の時は交通費が1日2000ウォンかかっていたが、それを毎日用意してくれた。道具を買わなければならないが、すぐにお金がないときは、宝石の指輪を質屋に預けて数万ウォンを引き出して道具を買ってくれた。その後商売をしてお金を返してまた取り戻してきた。そんな感じで質屋に20〜30回行ったと思う」と話した。

イ・デホは青年国家代表に選ばれ、順調に進んでいた時に祖母が亡くなったと語った。イ・デホは「祖母は本当に苦労だけして亡くなった。私は祖母のために野球を始め、祖母を楽にさせてあげたくて野球を始めたので、私の夢がすべて消えてしまった。野球もやりたくなく、学校にも行きたくなかった」と話した。

続けて「その時コーチが‘今まで君を見守ってくれた祖母が天国でも君を見守っているのに、どうするつもりだ’と言った。その時‘道を外れずに一度やってみよう’と思った。そうやって最善を尽くしてこの場所に来た」と付け加えた。

[イ・セビン スタートゥデイ 客員記者]

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